超大作です。この方素晴らしいです。

『…そういう時のお決まりのアドバイスの大抵が「これを試してみたら?これを購入してごらんなさい、これを加えてみて、これも使ってみて」ですね。どうしてもっと単純に、放っておく、諦める、止める、停止する、断る、減らす、手放す、そして自分の身辺や心の内面に何もない空間を作ってみることを勧めてみないのでしょうか?疲れはだるさ、やる気のなさは、案外この「これもやらなきゃ、あれもやらなきゃ」で頭が一杯であることが原因なのです。これが私たちの気力を削ぎ、疲れさせ、エネルギーを充電するため、と言いながらさらに疲れが増すという悪循環に私たちを陥らせているのです。(序文)』

→より健康で軽々と生きるための方法、減らす、手放す、やってみませんか?

『私たちに悩みをもたらしているのは、主に私たちの持ち物です。余分な持ち物を捨てることで、同時にそういった悩みから解放されます。p16』

→悩むことの多い人、持ち物も多くないですか?

『余剰を捨てることは、すでに私たちに備わっているこのエネルギーを大幅に増大させることを可能にします。執着する、こだわることを止めることは逆にエネルギーを増やし、それは命を増すことを意味します。命、これこそが本当の意味で私たちが所有しているものです。ただそのためにはこの命を奪う、または剥奪しているモノすべてをばっさり捨てることが必要になってきます。余計なモノはすべて捨てなくてはなりません。p18』

→エネルギーを増やす方法、捨てること。

『本当の意味の贅沢とは、一般的な幻想とはかなりかけ離れたものです。それは、ゆっくりと時間を取る、無駄をしない、品質に妥協をしない、自分の個性を尊重し自分に敬意を払うことです。そして何よりも自分にストレスを与える行為をはっきりと断れる自由、または自分にとって邪魔、嵩張る持ち物すべてを捨てることができる自由です。それは1日の仕事を終え、帰宅する自分を迎えるすっきりと片付いた部屋、静かで癒される寝室、何もない、従って何もする必要のない住まいです。贅沢とは、自らをあじけない窮屈なシステムに封じ込むことなく、日常が私たちに要求するありとあらゆる小さな選択の幾つかを消去していくことなのです。必要最小限のモノのみを所有することで、精神の自由が得られます。p24』

→帰って来て、更にケアが必要な家ではなくて、何も必要ない家というのは必要最小限しかモノがない家ということでしょうか。

『モノ、人、機会に固執すればするほど逆にそれらは逃げていきます。またある人間関係が終わりに来ていると感じた場合も、在るがまま、成せるがままに終息させましょう。p34』

→在るがまま、ここでもそうです。

『人を満腹にさせるのは食べ物の量ではなく、貪欲さの欠如である。グルジエフp35』

→貪欲さをなくせば不食になれるかも!

『私の歯は数本しか残っていない。モノに関してはもっと少ない。ガンジーp37』

→ウィットに富んでる!そして説得力あり。

『それにモノを持っていると実際にそれが本当に必要でなくとも、私たちはそれを使わなくては悪いような気持ちになってきます。p41』

→今、ミニマリストへの道を歩んでて本当に納得!モノが捨てやすくなりました!

『「モノを持たぬ者には苦悩はない」という禅の格言があります。別の言い方をすれば苦悩は所持するモノから来ているのです。私の持ち物がどれだけあるか知りたいですか?トランク2つにノートブックパソコン一台です。それ以上は、私の2本の腕には重すぎるからです。p59』

→著者のモノの数、素晴らしいです。目標です。

『私たちに何があっているのか、不要なモノ、用済みなモノさえも、はっきりとは分からないのです。それ故に捨てられないのです。それは自分というものを、本当の意味で知らないからなのです。p81』

→やはり選別して捨てるという行為、自分を知るという行為と等しい。

『私たちは集中することは難しいと決めてかかっているため、努力しないと集中できないと思っていますが、集中することは緊張ではなく、弛緩なのです。イメージするモノと向き合い、そのモノが持つ親密で楽しいイメージを持続させる、という極めて自然な態度のことを言うのです。p84』

→集中は弛緩、覚えておくと便利かも!

2へ続きます。

ミニマリストへの道、まだまだ邁進中です。

今ドライヤーを使わない選択肢、考えてます。

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