よく職業上、人の悩みや辛いことを聞いて大変でしょうとか、辛くないですか?と言われたりします。

それについての考察。

この話、神から展開します。

神っていう単語には皆さん色々思うことがあるようです。

あ、宗教的で危ないんじゃないか、神なんていないし現代科学で証明できないなどなどの意見があるのかしら。

神という言葉自体が邪魔して文脈の理解が阻まれるようであれば、無限の可能性でも、愛でも光でも生命でもなんでもよいですが、私はただ1つ、人間に有用な信念をあげるとすればこれをあげたい。 
『人間は神である』
故に私も神であるし、あなたも神である。
人間は無限の可能性の塊であると言い換えてもいいし、人間は愛であると言い換えてもいいけど、人間は神であるというのが一番しっくりくるのではないかしら?

信念というのはみなさん、生み出すのは0円で生み出せますよ。

みなさんにはどのような信念があるでしょうか?

男は働くべきだ。女は可愛くしてないとダメだ。子供は学ぶべきだ。親の介護は自分が全部すべきだ。などなど…

しかし自分にとって有用かどうか考えてみて下さい。

むしろ自分自身を生きづらくさせているのではないかしら?

有用でないものは捨ててもよいでしょうね。

私は神であって、あなたも神であるなんて誰も困らせませんし、全ての方を神だと思うわけだから接する相手も気持ち良いでしょうね。

職業上、人の悩みや辛いことを聞いて大変でしょうとか、辛くないですか?と言われたりします。

それを言われて私はいつも不思議に思うのです。

まず逆になぜ人の悩みや辛いことを聞いくことが大変になったり辛くなったりするのでしょうか?

1つは波動理論でしょうか。

喜びには喜びが集まり、悲しみには悲しみ、怒りには怒りが集まる。

なので悲しみを訴えられると悲しみの波動を受け取り悲しんでしまうということでしょうか。

そんな場合は私たちは創造主なので、悲しみを愛に変換することができます。何しろ創造主ですからなんでもできますから!その人に愛の力を思い出してもらうのは有用です。言葉にしなくてもよいからあなたは神なんですよ、愛のパワー沢山ありますよと思うのです。そう思うだけで自分も相手もパワーがあることを思い出します。

するとお互い悲しいなぁとか思わなくてもよくなるのです。

ということで自分も聞いてて悲しいなぁ辛いなぁと思わなくてよいのです。むしろあら、愛のパワーって沢山あるのねと満たされた気持ちになります。

更に悲しみや辛さを抱えてる方が笑顔になったり、色んな方に親切にしているのを見ると私は本当に感動します。

悲しみや辛さを抱えながらそんなことができるのは並大抵ではありません。

まさに神の域です。

そこに神を、神性をみるのです。

神を見た時、必ず感動します。私たち制限のある3次元に生きてますから。

この題の結論。

人の悩みや辛いことを聞くのは大変なことではなく、むしろ感動を呼ぶことです。

ですので、私がやっている精神科医…いや魂科医という職業は感動の連続なのでした。


10年程前に白川郷に行きました。確か5月ごろ。桜吹雪で感動しました。

人の中に神を見る時と同じ感動です。

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