質問:ささかま 女 18歳
何を話せば受診の目安になるか分からないのでよろしければ長話を聞いてアドバイス頂けると助かります。

まず、私のことを話します。

私は、元々祖父母の家で祖父母・両親・私・犬で暮らしていました。両親は共働きで、私の面倒は殆ど祖父がみてくれていました。
祖父がたくさん構ってくれていたので、祖母に嫉妬されたり、両親が普段お前と遊ばないから遊び方が分からないだとかなんとか言う以外は不満はありませんでした。
幼稚園では女の子に物を取られて泣く事もありましたけど、男の子に大きくなったら結婚してくださいなんて言われることもありました。毎日楽しかったかなと思います。

5歳頃、両親の都合で引っ越すことになりました。
その時、祖母にひとり呼び出されました。両親は車に乗って私を待っていました。
「もう二度と帰って来ないでね。あと、この事はあの2人(両親)には内緒だよ」と言われました。よく分からないまま頷いて、急いで車に向かいました。
私は初めて家族でドライブに行けるんだと思っていました。全然違いましたけど。

6歳頃にも両親の都合で引越しをしました。
保育園の年長さんの時に、女の子達が「今日新しい子が来るんだって」と話しているのを聞いた後、「○○ちゃん、こっちだよ」と保育園の階段の下から声がして、「あっ、来たみたいだよ」というような事を言ったら女の子達に「何言ってるの?」「声なんか聞こえなかったよ」と言われました。手の込んだいじめにしろ幻聴にしろ怖いなぁと今でも思います。
その日あたりから女の子達にハブられたりゲームで負けるように誘導されたりはするようになりました。故意にやられていた事とは気付いてなかったですけど。

小学生になって、1人のいじめっ子の女の子にずっといじめられるようになりました。文房具を取られたり、色鉛筆の上下どちらも削られたり(貰い物だったのと、うちは貧乏だから~と母から散々聞かされていたので凄く悲しかったんです)、サッカーゴールの前に立たされてボールを蹴られたり(動くと怒られて、もう1回ボールを蹴られました。当たった事は無いですが当たりそうな事は沢山ありました)。
小学1年生で習った通り母にずっと報告連絡相談していたのですが、「ふぅん。そ。」で済まされる事が殆どでした。しかも本人はそんな気は無かったと言うのですが本当に嫌そうな顔で、素っ気なく。
それから、私が女の子にいじめられていると分かったのは、母に「友達に(上記)嫌な事されるのが嫌だけど、どうやって言えば止めてくれると思う?止めてって言ってもだめだった」と何回か言った時に「そんなにいじめられるのが嫌ならそいつの事ぶん殴ればいいじゃん」と言われたからです。衝撃でした。
今まで人が嫌がる事はしちゃいけないって言ってたのにと混乱しました。そして正しいと教わってきた事とは正反対の事を言う母を信じられなくなりました。
それと、自分はいじめられているんだと思うようになってから、学童保育の先生が私と女の子に対して「本当に仲が良いね」と言った事で学童保育の先生まで信じられなくなりましたし、祖父母や近所付き合いしてくれている人にも相談してみた所、全員が全員「親の責任だよね」と思っているのか相談されたと母に伝えるだけで何も状況が変わらなかったという事があり、いよいよ大人が信じられなくなりました。
もういじめにもいじめが止まらない事も止めて貰えない事も耐えられなくなって、引越ししたいと親に言いました。
この時、何故かトイレの個室に着くと漏らしてしまう事が2回、雨に打たれただけで漏らしてしまう事が1回ありました。

7歳頃、引っ越すことが出来ました。
この時気付いてなかったのですが、漏らす事が無くなっていました。でもなんとなく怖いので今でも頻繁にトイレには行きます。
友達も直ぐにできて、一安心していたのですが、8歳頃に昔告白してきてくれた男の子から「女の子が怖くなった」と母親伝いに聞かされ(怖くなった理由は全く私とは関係がありませんでした)、音信不通に。当時唯一の心の拠り所だったので、女の子が怖いという事なら私は男の子になればいいのだろうかと必死にネットで探しました。
ネットをあちこち飛び回っているうちに、やっぱり私はもう誰からも愛されていないのでは…という気持ちが強くなり、自殺しようと思うようになりました。
できれば痛いのは嫌だけど、死ぬ時はどうせ痛いんだろうなと思いながら自殺方法を考えていました。そのうち、私は世界中の辛い思いをしている子供達よりは全然辛い思いなんかしていないだとか、私が誰よりも苦しんで死んだら世界中の人が幸せになればいいなだとか、頭のおかしい事を考え始めていました。首吊りは自分にも出来そうだなと思って首吊りをする事にしました。
とはいえ家の中に首を吊れるような所がカーテンレールくらいしか無く、首を吊るロープも毛糸で代用という余りにもお粗末な自殺計画でした。想像できる通り、首を吊るまでは上手くいったのですが、カーテンレールが私の体重に耐えられる訳も無く。流石に当時の私でも自分が死ぬ前にカーテンレールが壊れて死にきれないと分かったので残念ながら首吊りは失敗。物凄く痛い思いをしただけで最悪な気分になりました。
世界中の人々の為に死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。自分が世界一幸せになってやる。やっぱり世界一は無理だ。でも幸せになるまで生きてやる。という事で自殺はここでやめました。

小学3年生になって、いじめられるのが嫌なら強くなれと母に言われた事を実行する事にしました。
テストで満点を取ってもへぇとかふぅんとかそんなんだくらいしか言わなかった母が、初めて男の子と口喧嘩で勝ったと言った時は「へぇ。やればできるじゃん」と言いました。嬉しくて気分が良くなってなんでもできるような気になりました。悪口言うのは嫌だけど言わないと褒めて貰えないんだとも思いました。

その後も結局電気を消した女子トイレにひとり閉じ込められる事はありましたけど。

小学5年生か6年生の時、父親に「20歳になったら家を出ていけ」と言われました。
小学生に言う台詞では無いと思うし、20歳なんてまだ大学生なのにそんな事言うなんて正気か?と思いました。また気分は落ち込むようになりました。

中学1年の時、掃除の時間に女子トイレを女子3人と掃除していたのですが、掃除が終わって余った時間ができると延々と3人全員で「○○さん髪の毛長いよね~、切った方がいいんじゃなぁい?毎日5cmずつ切ったら分かんないよ~」と言われていました。母にも言っていたのですが、深刻には受け止めてなかったみたいです。
毎日言われて嫌な気分だったので毎日5cmずつ本当に切って学校に行きました。全然気付かないようだったので10cmくらい切って行く事もありました。気付いたのかどうか分かりませんがそのうち言われなくなりました。
母は気付きませんでした。
私が「~だから、自分で髪切ったんだ」と言ったら知ったような口で「だからこんなにガタガタだったんだ」と。分かってなかった癖に。

中学2年の時、今までの事が辛くて、両親に謝るでもなんでもいいから信頼できる行動を取って欲しくて、両親に「いじめられてた時何もしてくれなかったけど、凄く怖かったんだよ、それに悲しかったの」と伝えたはずが母に「学校に行きたくないんでしょ」と言われ本当に人の話を自分に都合のいいように捻じ曲げて聞いてるんだなぁと思いました。
学校に無期限の休暇を取りますとかいう訳の分からない電話をされ、不登校になりました。
学校に行って先生に電話の事を聞かれるのも今までの事を全部先生に説明するのも面倒だし、それ以前にどう説明したらいいのか分からなくてパニックになってそのうち考えるのをやめました。
毎日家にいる生活も始めは自分のペースで勉強ができるとか筋トレができるとかメリットを見るようにしていましたが、だんだん憂鬱になってきてまた死にたいと思うようになりました。
家にある風邪薬を飲みました。今なら言えますが死ねる訳が無かったです。1日の容量は超えていましたがたった+3錠か6錠かその程度でした。 頭が悪いですね。
けれど本気で死にたくて、黒い人影が扉の曇りガラスの向こうをうろついている幻覚まで見えていましたし、布団の上で真剣に死ぬ事を考えていました。
死にたいけど、何かやり残した事が有る気がする。
そう思った時理性が吹き飛んで、「私まだ赤ちゃん作ってない」と思って財布を持って駅まで走り出そうとしました。部屋が余りにも汚かったお陰で躓いて理性を取り戻してそのまま布団に戻りました。しばらく心臓がばくばくして、生きた心地がしませんでした。
どうやって知らない人と性行為をして、その後どうするつもりだったのか今でも分かりません。
もう二度とここまで自分を追い込みたくない、死にたいと思わないようにしたいと思いました。

中学3年では隣の席の人(以下O君とします)にも友達にも恵まれて楽しい学校生活を送りました。1番楽しかったです。
ただ、受験期になると面倒で、父に「将来女が1人で生きて行くには看護師免許が必要だ」と言われて、看護学校を勧められました。
私は自分の世話もろくにできないのに他人の世話なんかできるか!という思いと、将来女が1人で生きて行くにはって私は1人で生きて行く前提かよ!親からの援助は受けられないのかよ!という思いでいっぱいでした。
でもよく考えたら小5の時に20歳になったら出てけって言われてました。援助なんて無いんだなと悟りました。
それで本当はO君が通う高校にしたかったのですが、看護学校に行く事にしました。
どちらを選んでも結局「よく考えたのか」とかなんとか言って威圧してきたのでもう半ばヤケクソでした。どうとでもなってしまえと。
そして、この時とても気分が良くなってきてなんでもできる気がしていました。今でも不思議です。

高校1年では、毎月何かしら体調不良があった事以外は特に何も無いです。下痢だの風邪だの腱鞘炎みたいな手首の痛さだの食欲不振だのが代わる代わる続いていた感じです。既に中3の頃が懐かしかったです。

高校2年では、好きなアーティストのライブを見に行きました。その時はとても楽しかったです。
病院実習もあり嫌でしたが死にたくはなりませんでした。
入学当時体重が54キロあったのですが、高2の身体測定では46キロになっていました。ダイエットはしていません。

そして高校3年、9月までは調子が良かったんです。本当にレポートも勉強も楽しい訳では無いんですけど、なんとなくやる気があって、いつもよりたくさん手早くできたんです。実習のリーダーもやって自分の記録も書いてグループメンバーが提出物をちゃんと出せるようにアナウンスして…いろいろと意欲的に取り組んでいました。9月9日に37.7度の発熱があり(平熱は36.8くらいです)、病院実習は2週間お休みという事になりました。
すると熱が上がったり下がったりしまして。
家で36.4度でも学校で測ると37.5度というような事が多々起き始めました。
その頃はまだ発熱以外に症状はなかったというか、小2で自殺しようとした時以来中3の1年間以外身体がだるい日なんて当たり前だったので、熱でだるい訳ではないんだよなぁという程度だったんです。発熱外来という所に行った時も、血液検査は至って健康、X線も問題なしでストレスかなと言われました。

ところがここ2週間程、37度代から熱が下がりません。
特にここ5日37.5度、37.5度、37.4度、37.6度、37.5度と、ほぼ発熱しっぱなしです。
流石に身体も疲れてきているし、何時もより何倍もだるいんです。

それから、元々寝付きが悪い方で布団に入ってから30分はかかるんですが、ここ何日か1~3時間くらいかかります。身体が重くて寝転がっているだけで疲れるので日中寝るようにしているせいかと思ったので日中起きていた事もありますが関係ありませんでした。

そして、来年O君が18歳になって門限が無くなるから一緒にアーティストのライブを見に行こうねと言ってくれていて、一緒にライブに行く為に来年までは生きようと思っていたのに、 昨日「ライブなんてどうでもいいから早く死にたい」「太めのロープとおむつを買って深夜に公園で首を吊って死のう」と思いました。

本当に辛いです。くしゃみみたいに死にたいって思ったら次の瞬間行動してるんです。くしゃみみたいに止められる事もありますけど。

私の話はこんな感じです。読みづらかったり誤字脱字があったりするかと思いますがなんとか私の事を分かって貰えたらと思います。

私は精神科に行って、診断が貰えたらなと思っています。診断名でもいいから少しでも大人でも周りの人でも私の辛い思いを分かってもらえる手段が欲しいです。これは逃げであり甘えなのであって、診断など付かないのでしょうか。不安です。

それから母はあまり私を精神科に連れて行きたくないように見受けられます。理由は分かりませんが。
どうしたら母を説得できるでしょう。そして、母は精神科に行ったら困る事が有るのでしょうか。
よろしければ私が精神科に行けるよう母にもメールで何かお言葉貰えないでしょうか。

風邪だストレスだと言われるだけでこのまま放置されて気付いたら自分が自殺して死んでいたなんて嫌です…。

うまくメールできているか分かりませんし、読むのにも返信にも時間がかかるとは思いますが、お返事お待ちしております。

回答:メール頂きありがとうございます。ご相談大変嬉しく思います。
そんな大変な状況の中、今までよく頑張ってこられましたね!
いただいたメールも素晴らしい表現力で、ささかまさんのご様子がわかりやすく伝わってきました。
さて現在の状態はうつ状態やうつ病の可能性がありますので、是非お近くのメンタルクリニックに受診されると良いかと思います。少しのお薬や少しのお話で改善する可能性があります。
クリニックによっては受付の段顔で未成年の方でもお一人で受診することを理解いただけるところもありますので、まずは先にささかまさんがご受診されて、
医師と相談の上、協力してもらってのちにお母様をお誘いになっても良いかもしれないですね。

風邪だストレスだと言われるだけでこのまま放置されて気付いたら自分が自殺して死んでいたなんて嫌です…。

と、いただきましたようにささかまさんのご自身に対する愛とエネルギーを感じました。
ささかまさんは、素晴らしい希望をお持ちの方ですね。

よろしければ私が精神科に行けるよう母にもメールで何かお言葉貰えないでしょうか。

お母様、素晴らしいささかまさんの命を生かすためにも、どうかささかまさんが精神科に受診されることをバックアップして頂ければと思います。

ささかまさんが幸せであるよう心よりお祈りしております。

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