質問:瓦 男 19歳
長文失礼致します。読んでいけば分かっていただけると思うのですが、これも、おそらくは、「他人からどう思われるか」が気になって(本当のところは自分でも分からないのですけど)、という理由で、送ってみます。ただ、自分が少し苦しいことは、おそらく事実だと思いますから、何かアドバイスがあれば、頂けると、ありがたいです。もし、単なる私の小説の読みすぎ、妄想癖によるものなら、是非そう伝えていただきたいですし、何かしら以下の情報だけで考えうる病名があれば、伝えていただきたいのです。とりあえず、今の状況が、不安なので、他人にきっちり何か言っていただきたいのです。

最近、自分が、おそらく小学校高学年くらいか、それより少し遅いくらいから、三大欲求を感じている時しか、自分の本当の感情が分からない、ということに気づきました。それ以外は、「自分がどう見られるか/見られたいか/思われたいか」ということしか考えられません。あらゆる他人、また自分に、嘘をつき続けてきてきました。自分が、本当は何がしたいか、本当は何を喋りたいか、本当はどう思いたいか、それらが一切、自分でも分からなくなってしまいました。具体的には、まず、常に行動・言動の基準が「周りの人間がどう思うか」にあります。また、「こう思った方が、周りからは○○と思われるのではないか/こう思っているとすると、こういう言動をしてしまって、幻滅されてしまうのではないか」こういう思考回路で、自分の思考を変えることは簡単でした。病的なまでに、自分は他人のことを意識しすぎていて、病的に嘘をついています。「『自分は、ポオズをつくりすぎて、ポオズに引きずられている嘘つきの化けものだ』なんて言って、これがまた、一つのポオズなのだから、動きがとれない。」(太宰治「女生徒」)これと全く同じということではありませんが、状況としては、まさにこれなのです。自分の場合、「こう思われたい」という動機で、そういう嘘をついているように思います。これまでの一切全ての言動や行動が、そういう動機による、自分の本当の気持ちが0%の嘘だったかもしれない、とも思うのです。いや、「こう思われたい」という部分においては、本当かもしれませんけど。
これまで、それで人を欺き通してきたとばかり、思っていました。でも、どうやらそうではない、バレる人にはバレている、いや、全員にバレているのではないか、この順に、思うようになりました。僕は頭の中で何かを考えるときも、常に、目には見えないけれども、「相手」がいます。相手は相手でも、「自分がどう思われるか」ということの実験台としての脳内の仮想的な「相手」です(当然と言うべきか、「相手がどう思うか」ということにはほとんど興味がありませんので、いくら相手がいても、全く、他人の感情を読み取ることの訓練にはなっていません。)。何か頭の中で文章を考える、その時も、僕は教壇の先生/講演者気分で、必ず、「聞かせてやる相手」がいます。ちょっと言うのが遅れたかもしれませんが、「ほとんど無意識のうち」に、自分がどう思われるかという思考をベースにしているのです。全ての思考、行動について、無意識に、そうなのです。最近僕は、本当に自分がしたいことは、思いたいことは、喋りたいことは、何か?ということを考えています。でも、わかりません。思考が、「他人にどう思われるか」というのを長年、しかもほぼ全てについて、基準にしてきたので、なかなかそう簡単に、その無意識のうちの思考回路は、覆せるものではありません。その中でも、自分は、少なくとも三大欲求と、排泄などの生理的欲求だけは、どうやら、これは「本当の自分の感情である」と思っています。でも、他は、自分の本当の感情なのか、ほとんどわかりません。おそらく、他は「他人」ベースです。

今思うと、twitterがいけなかったかもしれないとも思います。twitterでは、アカウントを複数持ち、それぞれを独立に使い分けることができます。これはすなわち、複数の人格を完全に独立に持てるということです。僕は、twitterを高1から始めました。すでに、上に述べたような思考はありましたが、今ほどではなかったように思います。まず、twitterをうまく使うことで、twitterの上だけでは、自分の理想とする人格だけを抽出して、そう思われるようなことだけを発信することができるということに気づきました(もちろん、今書いたように、これを否定的に気づいていたわけでは無くて、ただうすぼんやりと、無意識のうちに魅力的なことのように思っていました。)。そして次に、アカウントを複数持つことで、フォロワー(他人)を選んで、見せる人格を変えることも覚えました。いわゆる、裏垢と呼ばれるものです。そしてもう一つ付け加えておきたいのは、これらのフォロワーというのは、ほとんどが、現実世界でもよくかかわる人(同級生、クラスメート、先輩後輩など)であったということです。これらによって、twitterの人格と現実の人格はいつしかごちゃ混ぜになって、その結果、現実に「自分の理想とする人格」にも近づいていきました。この人格についての具体的なことは、キリがないのでここでは書かないことにします。自分の理想とする人格に近づいていたということだけ。高校時代は、これに満足していました。おかげで、僕は高校時代は本当に自己肯定感も高く、楽しかったです。しかし今、高校を卒業して半年、「自分の理想とする人格」を知る人間は大学に1人もいません。僕は全く意識することなく、この「人格」を通そうとしていました。別に何ら違和感はありませんでした。しかし、突然、ここ数日になって、それに違和感を感じるようになりました。ようやく、自分が嘘しか言わなくなっていることに、気づきました。また、嘘しか言っていないことや、さらにその動機、つまり、「自分がどう思われたいか」ということ自体、他人にバレているのではないか、との思うようになりました。もう書いていてもキリがありません。この文章自体、誰に見せる予定でもなかったくせに(これはほとんど別のメモ帳からのコピペです。)自然に他人を意識した文章になっていること、そして、上に書いた「他人にバレているのではないか」という恐怖、これら自体、やはり、「他人にどう思われるか」という思考です。僕は、この文章では、できる限り自分がどう思われるかということを捨てて、本当のことを書こうとしましたが、それでも、だめでした。誰に見せる予定のない文章ですら、本当のことが書けません。もう自分は自分のことを何も、言えません。おそらく僕は、一生、本当のことが言えません。一生、「他人からどう思われるか」で生きていくことになりそうです。自分が死んだ後の世界の周りの人間の反応が気になるあまりに、自殺だってしてしまうかもしれません。最近は、そのことばかり考えてしまいます。自分の感情が分からないので、自分以外の何物も、何が本当か、わかりません。「われ思う、ゆえに我あり」みたいな話がしたいのではありません。いや、この文章も、やはり、「他人」を意識しました。堂々巡りです。もう僕は、何かを言う限り、それは全部嘘であり、「他人を意識した」言動なのです。これも嘘、これも嘘、永遠に続いてしまう!みたいな感じです。こんなことでは、もう、何も喋りも行動もしない方が、いいのだろうと思います。これが、死ぬことなのではないかと、思っています。でもこれも、嘘かもしれない。でも意外と僕はまともなのかもしれない。精神病ぶっているけど、こんなに文章が書けている。しかし、そんなことを考えている時点で、病的なまでに他人を意識しているのか?とも思います…もう何も言わない方が、傷口が深まらずに済みそうです。長文な上に支離滅裂で大変申し訳ありません。ご回答いただけると幸いです。

 

回答:メールいただきありがとうございます。ご相談大変嬉しく思います。
それは大変でしたね。今までよく乗り切って来られたかと思います。

「自分がどう見られるか/見られたいか/思われたいか」ということしか考え

なければ

三大欲求を感じている時しか、自分の本当の感情が分からない、

のも当然かなと思います。

しかし、突然、ここ数日になって、それに違和感を感じるようになりました。ようやく、自分が嘘しか言わなくなっていることに、気づきました。また、嘘しか言っていないことや、さらにその動機、つまり、「自分がどう思われたいか」ということ自体、他人にバレているのではないか、との思うようになりました。

素晴らしい氣づきですね!

これまで、それで人を欺き通してきたとばかり、思っていました。でも、どうやらそうではない、バレる人にはバレている、いや、全員にバレているのではないか、この順に、思うようになりました。

これも素晴らしい氣づきですね!

Twitterの件や、今までそのようにされていたことは、それまでの瓦さんにとっては重要な意味があり、役に立ったのだと思います。
しかし素晴らしい氣づきを得た今、もう偽ることをやめ、率直に生きても良いと思いますよ!

言葉や思考の力は素晴らしいものです。

僕は、この文章では、できる限り自分がどう思われるかということを捨てて、本当のことを書こうとしましたが、それでも、だめでした。誰に見せる予定のない文章ですら、本当のことが書けません。もう自分は自分のことを何も、言えません。おそらく僕は、一生、本当のことが言えません。一生、「他人からどう思われるか」で生きていくことになりそうです。自分が死んだ後の世界の周りの人間の反応が気になるあまりに、自殺だってしてしまうかもしれません。

このように宣言するとこのような未来を形作っていくでしょう。
しかし、例えば「毎日ますます率直で、素直で、のびのびとした自分になっている」と最初は嘘だと思っても、声に出して言ってみてください。
言葉に出す力は相当なものなので、今までの思い込みも消え去っていき、死を待たずとも新しい自分に生まれ変わっていくでしょう。

死のことを繰り返し考えてしまうようなら、是非ともお近くのメンタルクリニックに受診なさってください。
お薬やお話しすることなどで回復しやすくなるでしょう。

瓦さんの幸せをこころよりお祈りしております。