10月に役場から「あなたの子どもの児童虐待について、母であるあなたに話を聞きたい」とクリニックの電話に電話がかかってきました。
そして1週間ほどのち、同じような文言で児童相談所からやはりクリニックの電話に電話がかかってきました。
具体的なことを聞こうとしても、電話先ではもちろん答えてくれず。
「どちらも同じ案件で、来院されている方からの通報か」と思いましたが、先日ついに聞き取り調査がありました。
町の方、児童相談所の職員計3名で来訪。
てっきり同じ人が同じ件で役場と児童相談所に通報したのかと思いましたが、意外だったのは通報者が別々におりました。
町の人からは「お母さんが発狂して叫んでいて、小学生を叱責している。心配でならない」との通報が10月初旬にあり、心当たりはありますかと。
「発狂の定義は分かりませんが、下の子を泣かすので、それで怒鳴ることはあります、こんな感じに」と実演しながら伝えました。
そしてすごく泣くので、うるさいので落ち着くまで窓の外に出てもらうことはあります。とも伝えました。
そこで児相の人が発言をし、姿が見えないところに身を置くのは問題ですよと言っておりましたが、窓のすぐ外だったので姿が見える位置ではありました。
「1人で子どもを見る時間が多いといっぱいいっぱいになりますか?」という質問もありましたが、いっぱいいっぱいになってその行動になるということではなく、危機管理的に下の子をいじめていると声を大にして「やめなよ!」とか言うことはあると伝えました。
その辺りでちょうど上の子が帰ってきて同席しました。ちょうどいいので、なんでも聞いてみてくださいと役場の方に伝えたところ、「お母さんに叱られることはある?」と聞かれて「うん」と答え、「どうして叱られるの?」「下の子をいじめるから」と答えておりました。
そして「相談できる先生とか、大人の人いる?」と聞かれ、「いる」と答えていました。この辺の質問はプロトコル通り?な感じ。
そして下の子は幼稚園どうしますか?と質問され、上の子と同じ幼稚園に行く予定ですと答えました。
この調査で虐待はないから安心ということではなく、フォーロアップをまたしていくということでまた連絡がくるとのことでした。
次は児相の方からの話がありました。
クリニックの患者さんから10月上旬に、「診察中に患者さんが嫌な話をして、下の子が診察室でそれを聞いていることは虐待にあたるのではないか」との通報があり、心理的虐待疑いの調査とのことでした。
「むしろ患者さんが嫌な話をしていたらその対処などを伝えているんだから、勉強になることもあるのではないか、よく心配する愛から信頼する愛に切り替えてくださいと言っているが、信頼してみてはどうか」という旨を伝えました。
そもそも患者さんからの話で虐待に当てはまりそうな話というものを認識したことはないのですが。。
診察室に無理やりいさせるということはなく、自由にクリニック内を移動しているということも加味されたようで、どのような対処になるか審議してまた連絡しますとのことでした。
この件でとても上の子がショックを受けていて、「なんでただ喧嘩しただけなのに通報されるんだ」と言い、最悪の一時保護されることも想定し、「その方が虐待じゃないか」「そうなった場合は自殺する」「自殺できない場合は生き霊になる」と泣きながら追い詰められている様子でした。
虐待通報が子どもの心にいかに影響していくか。
私はというとこの件でいろんな実りがありました。
まずこの通報の前に、知り合いのほとんど話したことのない子どもに「親バカ、毒親」と表現されました。
そして今回の虐待の通報。
私と子どもの関わりに関して周りから表現されるレッテルが心地よいものではないということです。
皆さんに伝えているように「これは私にとってどんな意味があるだろう」と考えました。
そうするといろんな意味が出てきました。
一番ダイレクトな意味は親バカである、毒親である、虐待があるということに自分の中で偏見があるということ、そしてそれを癒す必要があるということです。許していく、愛していく、感謝していくということですね。
別の視点では私が誰かのことを親バカである、毒親である、虐待があると思ったことがあり、それが返ってきたということです。やったことしか返ってこないので。
これは診察で毒親などそんな表現はしませんが、「子どもがその状態であるということは、母親であるあなたの影響は強いので、あなたが変わると子どもの状態は変わる」と伝えていることを別の角度から見ると、毒親である、親バカであるというニュアンスも入っていたのかもしれません。ですのでそれはこれから親御さんに対して、もう少し柔らかく接していこうと思うことができました。
あとは私が怒鳴って伝えるということを、これを機に卒業できたらと思います。それは幼少期きっとラーニングしたものでしょう。怒鳴るという連鎖をここで止めたい。上の子も下の子に注意するときは怒鳴り声です。連鎖しつつあります。
今回の通報に関しては両件ともに心配が原動力になっていたかと思います。
心配は呪いだとみなさんに伝えておりますが、それを体感しました。
ちょうどこの体験をした次の日、来院された方が「先生の子育ては本当に素晴らしい。みんなに伝えたいほど。たまに寝る前にそれを思い出して涙が出そうになるし、感動して眠りにつく」という趣旨の素敵な言葉をいただいたので、感謝を述べ、虐待通報があった話をしました。
そうすると「そんな風に誰かを攻撃することをみんな一人一人が止めることができればいいですね」という言葉を頂きました。
SNS時代、人間の中のうちに秘めていた攻撃性が明るみに出ていると思います。
誰かに攻撃しなくても安心して過ごせるよう祈ります。
世界人類が幸せでありますように。








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